スポンジにはそれぞれ苺のシロップが打ってある。いい口溶けのスポンジ。最初は選ぶ予定にはなかったケーキ。というのも、目当てにしていた生菓子の幾つかが売り切れあるいは季節の関係からか並んでいなかったため。

食べたのは去年12月初旬。今回のスイーツ男子会議第三回『ショートケーキ』には参加していないけど、せっかくなんでショートケーキを。もし仮に参加していたら、このガトー・フレーズか、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌの「苺のショートケーキ」か、エーグルドゥースのシャンティー・フレーズあたりを選んでいたかも知れない。

フランス菓子に精神的ウェイトを置いてる店にもいわゆるショートケーキが並んでいることはあって、個人的には「特別枠」のようなものとして受け止めているが、フランス菓子屋の看板を掲げる店の場合、スポンジにはシロップを打ってあることが比較的多い。
スポンジにシロップを打つのは何も乾きを防ぐためではなく、生地の味わい方として味にプラスになるから打たれているのであって、生地を味わうための多様性。一方、日本的洋菓子のショートケーキは口溶けの追求ひいては生地を感じさせないという方向性は確実にあり、それを理想像として目指してさえいる。
だが、米粉を使ってみるとか、ショートケーキを砕いて(あるいは分解して)ヴェリーヌにするとか、正直な気持ち「表現の行き詰まり」を幾らか覚える。プレゼンテーションにはなってるが、「新しい」といっていいクリエイティビティだとは感じない。これらの変遷は「口溶けの追求」という理想像に向かって一見正しい進化の道を歩いてはいるが、そこまでいった時に必ず表現は行き詰まる。もはやケーキではなくなってしまうのは目に見えてるから。何かしかるべき方向付けはできないものなんだろうか。このまま「口溶けの追求」でいいのだろうか。
僕はフランス菓子寄りな味の突き詰め方の方が好みだから、「口溶けの追求」という日本的洋菓子ショートケーキへの理想像に向かうアプローチはより一層洗練されていくのだろうと思う反面、ショートケーキが並んでいても、食べるならできるだけフランス菓子に近づけようと一工夫してある方を好んで選択するようになった。同じ一工夫でも、フランス菓子的な「生地を味わう」一工夫に今後も傾倒したい。理由は後述。
[ PÂTISSERIE Le temps des Cerises(パティスリー ル・タン・デ・スリーズ) ]
場所:東京都世田谷区東玉川1-16-19
最寄駅:東急池上線「石川台」駅より徒歩5〜6分。
営業時間:9:30-19:30
定休日:不定休
場所:東京都世田谷区東玉川1-16-19
最寄駅:東急池上線「石川台」駅より徒歩5〜6分。
営業時間:9:30-19:30
定休日:不定休
ショートケーキに対する思いの変化
…かつてはお店の方向性やら自分との相性を計ったりする目的で初訪問時には絶対押さえていたくらいの「ショートケーキ」。生まれた時からあったし、日本人が一番多く口にする可能性が高いケーキだから、フランス菓子屋の看板を下げていても、並べればやはり確実に売れるケーキ。動くパイは大きい。本格的なフランス菓子志向で経営するよりも、和洋折衷の洋菓子路線でいく方がリスクを少なくできる。経営としては、一面において正しくもある。
だが、2年くらい前から、必ずしも選ぶアイテムには加えなくても構わないという考え方になった。
多分、食べ手としてのこちらの見たいポイントが別のものに変わっていったせいなんだろう。「儚く喉元を過ぎてゆく口溶け」に向かって進んでいるショートケーキでは得られない何か。ショートケーキはそういう方向へ向かっているから。同様にロールケーキもきっとそういう方向に行こうとしている。舌ばかりがいい仕事を持っていってしまって歯が仕事をさせてもらえない状態をキープするというのは、舌の上で溶かせても、腹の内で溶かし切れない何かが残ってしまう。食欲を五感で満たそうとする時、「噛む」がなくなっていったら……。
そう強く意識するようになってから、ショートケーキは必ずしも選ぶ必要性を感じなくなってしまったのだ。いや、むしろそっちにこれ以上進むべきなのだろうかと、思い踏みとどまった。日本的洋菓子の進む道に足並みを揃えた時、「噛む」という行為は所在がなくなるのではないかという危惧を持ったから。ショートケーキにあまり関心を示さなくなり始めたのとほぼ同時に、僕はブランジュリーへ足を運ぶ回数が見違えて増えた。
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