駅を出たら目の前の路地を出て、井の頭通りの信号を渡って丸井の横の道をまっすぐ行けば井の頭公園。ですが、レピキュリアンはその更に一本右の道にあります。信号を渡ったら右へ歩いて、無印良品の横を入ってすぐ。青いファサードが目印です。アンティークな雑貨屋っぽい感じのお店です。
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では以下コメントです。よろしく哀愁デート。

○ミルフィーユ・オ・フランボワーズ - mille feuille au framboise -(¥400)
土曜日のリュー・ド・パッシーに続いてミルフィーユですが、小振りです。昨日の今日なのでさすがに両者の大きさの違いは一目瞭然でした。高さはほぼ一緒なのですが、長さがおよそ1.5倍違います。値段は一緒(笑)
上にはフランボワーズが一つ、その上にハーフカットのピスタチオが。上面をカラメリゼしたフイユタージュはサクサクして美味しいです。カスタードは想像していたよりもずっと軽めで甘さもそれほど強くないですね。フランボワーズと喧嘩しないように引き算されてるんだと思います。フォークを入れてもあまり崩れません。
リュー・ド・パッシーで買った「苺のミルフィーユ」を前日の土曜日に食べた後なので比較し易いです。大きさは1:1.5ですが、味は…どうやらレピキュリアンですね。苺ではなくフランボワーズを使っているためか、カスタードの中で水分が拡散しにくくなっているように感じました。フォークを入れた時にフイユタージュがズレない。これはしばらく時間をおいた状態でも同じでした。ベリーを挟んだミルフィーユとしては、このフランボワーズの選択は正解に思えてきます。オーボンのミルフィーユよりも美味しいです。
フランボワーズも木いちごなんで苺には違いないんですが、苺と比べて一粒ごとの存在感は控え目な感じ。でも、個性はきちんと発揮されていて、ファッ、ファッ、と局所的にところどころでフランボワーズの酸味が舌の上で花開いて消える、といった印象なんですね。これはすごいと思いました。この小振りな大きさが丁度良く感じます。フルーツを引き立てるためのバランス感覚がこのミルフィーユにはあるように思いました。「味覚伝達デザイン」に優れたケーキのひとつだと言っていいんじゃないでしょうか。
…この大きいとか小さい、というのは、僕は小さくても原則OKという考え方なんです。理由は「今回の総評」にて。
ここのミルフィーユは確かに小振りですが、フルーツの質に妥協していないという点、しっかり甘く、しっかり焼くという点、この二点を大事にすれば、ある程度大きさを抑えてバランスを取るというのは納得できるんです。これでピエール・エルメくらい大きかったら、いくらフランボワーズでも大味になってしまっていたと思います。
味を今風に軽くして大きくして食べ易くした上で何個でもいけてしまう、といったような作り方ではないんです。そういうアプローチを選んでいない。しっかり甘いのがフランス菓子なんだ、という観点と哲学から考え抜かれた論法なのだと思います。ここにデザインがあるんです。だから、僕は、この大きさについては特に文句はないですね。価格も特に悪いとは思わないし。ま、できればそれは300円台だったら嬉しいですよね。たとえばこれで380円だったら、もっと素晴らしかったと言えるんじゃないでしょうか。でも、まあ400円ならOKかと。ノーマルでプレーンなミルフィーユ以外では、このミルフィーユが現段階でベストと感じます。

○フレジェ - fraisier -(¥400)
上に乗っているのは比較的大粒な苺です。といっても、果物屋で売られている「あまおう」みたいに大きいわけではありません(笑)
苺の上に砕いたピスタチオが散りばめられています。ビスキュイの台の上にカスタードを練り込んだスポンジ、その周辺にはハーフカットされた苺が円周に沿って惜し気もなく並べられています。真ん中にはハーフカットされた苺がピスタチオ入りカスタードに絡まって横倒しに置かれています。つまり、さきほど一番上にトッピングされた苺に散りばめられていたピスタチオは単なる装飾ではなく、この真ん中に入っていたピスタチオのカスタードの前振りになっていたという事になります。装飾ではなく、味にプラスになるためのデザイン、という事ですね。ここらへんはエーグルドゥースの寺井シェフにも通じるものがありますね。ま、そんなの当たり前かも知れないですが。
個人的には、ピスタチオというのは、こういう風な、何かを引き立てるための脇役、というポジションであってほしいなと思います。ここでは、あくまで主役は苺であるという事ですね。…あまりピスタチオを前面に出したものは味がきつくてどうも受け入れ難いんです。
それから苺の下に白っぽい、シャリシャリとした薄いものがあるんですが、ちょっと何なのか判りません。フォンダンか。苺のソースもかかっていますね。

○クロワッサン - croissant -(¥160)×2
どっちかっていうとバターの風味がバッチリ効いてる方が好きですが、美味しかったと思います。サクサクしていて香ばしい。苦味もほどよいというか、クロワッサンはこういう風にはっきり苦味を出してくれてる方が好き。やっぱりオーボンヴュータン門下のお店だけあって、しっかり焼きを入れますね。人によってはそこを苦手に感じたりもするのかな。変に甘くないところもいい感じでした。
○ブリオッシュ - brioche -(¥136)
多分、初めて食べるような気がします。これをブリオッシュと呼ぶ事自体知らなかったので、もしかしたら食べた事があるような無いような、なんだか曖昧なところです。という事なので基準がない状態ではあまり多くを書けないので申し訳ないのですが、土曜日のリュー・ド・パッシーでのブリオッシュがとても美味しそうだったので感化されたんだと思います。次回どこかのお店でブリオッシュを買った時に判断したいと思います。
[ Pâtisserie Maison L'Epicurien(パティスリー・メゾン レピキュリアン) ]
場所:東京都武蔵野市吉祥寺南町1-9-5 レンツェン吉祥寺
最寄駅:JR中央線・京王井の頭線「吉祥寺」駅南口から徒歩3分。
営業時間:10:30-20:00(土日祝:19:00)
定休日:水曜日(パティシェリア入荷日は金・土・日)
イートイン:可(ラストオーダー/平日:〜19:30、土日祝:〜18:30)
場所:東京都武蔵野市吉祥寺南町1-9-5 レンツェン吉祥寺
最寄駅:JR中央線・京王井の頭線「吉祥寺」駅南口から徒歩3分。
営業時間:10:30-20:00(土日祝:19:00)
定休日:水曜日(パティシェリア入荷日は金・土・日)
イートイン:可(ラストオーダー/平日:〜19:30、土日祝:〜18:30)
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(今回の総評)
レピキュリアンというお店は入り口が2つあるんですけど、今回わかったのは、まず最初は右側へ入るんです。で、ショーケースの前で注文して会計を済ませたら、今度は左の扉から出ていくんです。きっとそういう事かと。これだとひっきりなしにお客が入ってきてもうまい具合に流れるんでしょうねえ。初めはなんでわざわざ2つ付けたんだろうと思ってましたが。
ということで、ですね。レピキュリアンについてですが、フルーツを大事にするお店なんだな、というのが伝わってきて嬉しくなりました、というのが今回の率直な感想です。サロンも随分と賑わっていましたね。今回は最初から井の頭公園で食べるつもりだったのですが、公園で食べる方がロケーションもよくていいと思いません?
フルーツを大事にするという事は酸味を大事にするという事。酸味を目立たせる時は甘味は一歩引く。しっかりと生地を焼き込む事で苦味もポイントとして押さえる。決してオーボンヴュータン出身だからといって満遍なくすべてこってりと甘いという風ではないわけですよね。見た目のデザインにも無駄がない。というのは要するに「すべては意味がある」という事でもあります。意味があるのかないのか。意味のない事はしない。そんな理念が小振りなケーキながらも十分伝わってきます。ここが重要だと思います。
☆大きいとか小さいの話
小振りでも作り手が伝えたい事が食べる側にちゃんと伝わればいいんです。納得するかしないかは食べる側の価値観に委ねられる事で。逆に、食べ手に伝わる前にケーキを食べ切ってしまって、なんだかよく判らなかったっていうんじゃ困るわけですよねえ。「じゃあもう一個食べたら?」といっても、食べ切った時点で理解しきれないものは、何個食べても途中の同じところで終わってしまうような気がします。だとすれば、そのケーキにはあと少し大きさが足らないのではないでしょうか。
☆分かりやすさについて
だから、「小さくても原則OK」だけど、伝えるのに十分な大きさを要していないのなら…。もちろん、食べ手の舌もある程度肥えていた方が幅が出来ていいとは思います。でも、買いに来るお客というのは別に特権階級や超上流階級、はたまた舌の肥えきった美食家ばかりというわけではないですからね。圧倒的多数は、普通の人でしょう(僕も含めて)。ゆえに「分かりやすさ」は大事だと思うんです。ケーキを通じてコミュニケーションをするのですから、伝えたい事が伝わらなかったらダメなんですよね。
いわゆる「万人受けする食べ易いケーキ」を低く見られがちな場合もあるかとは思いますが、とにかく複雑で難解ならいいのかといったら、僕に言わせればナンセンスです。それは赤川次郎を貶して埴谷雄高を褒めてるのと変わりませんね。どっちがいい悪いではなく、それそれのシェフの方向性、という部分はきちんと見ておかないといけないんじゃないかと思います。
問題の答えを教えてもらうかのようにその意味を誰かに説明してもらうまでは自分では何がいいのか判らないというのは、実はその問題自体大した事がないんじゃないのかとさえ思います。ケーキで伝えるならケーキで判らせないと意味がない。説明して判るならケーキを辞めて文筆家になればいいんですよ。見て食べてすぐに美味しいと言えるものは、やっぱり優れているんだと思えないと、何か大切なものを見失ってしまいそうな気がします。表現に携わっていれば尚の事ではないでしょうか。複雑や難解を口にする事で相手への褒め言葉にしてしまうのはいかがなものかと思います。複雑なのは判った、複雑をうまくまとめたのも理解した、…で何が言いたかったのですか?っていう。
☆コミュニケーションということ
デザインの世界には視覚伝達デザインという言葉がありますが、ケーキも含めて料理というのは「味覚伝達デザイン」として成立しなければいけないと僕は思っています。少なくとも、今回レピキュリアンで購入したケーキからはそれらがきちんと伝わってきました。
☆イメージの共有
大きいか小さいか、というのは作り手のイメージ、それからアート、この二つでしょう。何人ものパティシエが同時に、白紙のキャンバスにシュークリームの絵を描いたとして、みながすべて等しい大きさや形のシュークリームを描くなんていう事はまずないはずです。
その人にとってシュークリームっていうのはキャベツみたいにズッシリとブリバリなもんだ、っていうのならその人の作るシュークリームはそういうものになるし、プッチモニだっていうならその人のシュークリームはそういう風になるでしょう。そして僕らはそのイメージに共感した時、そのお店のシュークリームを愛するようになるんじゃないでしょうか。
更に、デザインの視点で言えば、キャンバスというのはお皿であり、テーブルだと思います。その上にケーキが乗った時、どれだけ余白を作るか。余白を大きめにとるシェフもいれば、キャンバスいっぱいいっぱいとるシェフもいるでしょう。ケーキだけで物をとらえずに、空間としてプロデュースする。その時、何よりもケーキの存在感を主張してあれば大きく見え、ケーキ以外の空間とのバランスを考慮していれば小さく見えたりするかもしれません。その余白まで計算しているパティシエはきっと優れたデザインセンスを持っているはずです。そういった部分が本来デザインと呼ぶものです。そのデザインにお金を払えるか否か。そのデザインが本当に不可欠なのか、それとも余計なのか。
時にシェフの複雑で難解な想像の小宇宙、コスモを漂泊するのもロマンチックで、それもアリかと思います。しかし、毎度それをやっていたら疲れてしまわないでしょうか。ケーキは疲れた時にホっとさせてくれる事はあっても、疲れさせるためには存在していないように思うんです。