2011年03月27日

幡ヶ谷/CoNCeNT(48):ホワイトチョコとヘーゼルナッツのケーキ

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フランボワーズのジャムにノワゼットのムース、ショコラ・オ・レのクリーム、ショコラ・ブランのムースで全体を覆っている。土台はビスキュイ・オ・ショコラ。

地元の菓子屋だけに、震災以後はどうしても気になってしまう。週末に菓子を楽しむ時間。持てる時間があるっていうのはイイもんだと感じる。自分の後から入ってきた客が見れて良かった。この街にはそういう時間が、ちゃんとありそうだ。多分、他所の街にもきっとあるだろう。

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[ Pâtisserie CoNCeNT(パティスリー・コンセント) ]

場所:東京都渋谷区本町6-34-8
最寄駅:京王新線「幡ヶ谷」駅より徒歩4分。水道道路沿い。ガソリンスタンド隣。
営業時間:10:00-21:00
定休日:無

posted by 照乃芯 at 21:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | コンセント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

近況報告。

どうしても地震関連の話題は避けられそうもないので、近況報告を中心に書きます。

元気です。毎日仕事に励んで、さっさと帰ってさっさと寝てます。連日、細かい余震があり、この三日連続ついさきほども東京は震度3の揺れを記録しています。今日は二回ですね。さすがにもう、震度3と発表されるレベルの揺れには動じなくなりましたが、年に数回の話ではなく連日連夜となるとこのくらいの地震でもボディブローのようにジワジワと心理的なダメージが日々蓄積されるものなのかなと感じていたりもします。と同時に一分一秒の大切さが滲み出てきます。

元気です。ですが、気の重さを携帯した元気です。

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posted by 照乃芯 at 22:13 | メモ・お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

代官山/IL PLEUT SUR LA SEINE(11):ポロネーズ

ポロネーズ:Polonaise


ポロネーズ:Polonaise

パリのジャン・ミエにも並んでいたポロネーズ。ジャン・ミエのはもっと尖った山型。イル・プルー・シュル・ラ・セーヌのポロネーズの方が丸みがあり、大きくてボリュームがある。下のアルミ紙と一緒に全体を引いて見ると電球のように見える。シテ駅のホームにある電燈を思い出させるような丸さ。

ムラング・イタリエンヌで覆った中にはキルシュの染みたブリオッシュ。入ってた果物、何だったろうか。パンプルムースのような色合いだった。効きがキツくなく、品のある香りで美味い。これまで東京で食べた幾つかのポロネーズの中ではベストに感じた。新たな基準になった。

ちなみに後ろはブッション。…また食っちゃった。つい選んでしまう。すでに一度掲載したことがあるので今回は控えめにポロネーズの後ろへ回ってもらった。

ama_jikan_a_paris_caption_small_left.jpg ポロネーズの昼休みama_jikan_a_paris_caption_small_right.jpg

ポロネーズ。ポーランド風という意味になる。キルシュをたっぷり打ったブリオッシュ生地の中にフルーツを入れ、全体をメレンゲで覆うクラシックなフランス菓子。東京のパティスリーでこの白い菓子を並べてるお店は決して多くはない。パリでも滅多に見かけなかった。

ポロネーズという菓子に初めて出会ったのは、古めかしいフランス菓子のお店だった。

生まれて初めてメレンゲの鳴く声を聴いたのも同じく2006年2月、その店のポロネーズにフォークを入れた時だった。初めて食べるその真っ白な菓子の肌から、何か音を聴いた気がした。

「今……なんか言ったか?」
もう一遍フォークを入れると、やっぱりメレンゲは何か言った。
何を言ってるのか確かめたくて耳を近づけて更にもう一度フォークを入れてみると、メレンゲは確かに「鳴いて」いた。なんて言ったのかは判らなかった。でも、その声が「鳴き声」だというのだけは判った。メレンゲは鳴くのか…。その後、誰かが「メレンゲは鳴く」というようなことを本に書いていたことを知って、やっぱりメレンゲは鳴く、鳴き声を聴いたのは間違いではなかったのだと確認した。

ポロネーズ:Polonaise


ポロネーズと聞いて思い浮かべずにはいられない、あの頃の昼休み。
小学校時代、昼休みといえば「掃除の列の一週間」か「校庭でドッヂボールか4ピンの列の一週間」。そのどちらかしか、あの頃の「男子」にはなかった。

「お昼の、掃除の時間が、やってまいりました。皆さん、教室の隅から隅まで、綺麗に掃除しましょう」

Johann Sebastian BachのPolonaiseが校内放送のスピーカーの喋る後ろからホコリ混じりに流れ出すと、教室では逆立ちした椅子を肩車した机たちが前へ進んでは後ろへ下がり始める。小さな楽団はホウキやチリトリといった音の出ない楽器を手に取り、指揮者抜きで楽譜のない演奏を立ったまま昼休みの間中、奏で続ける。

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子どもの頃からずっとサッカーばかりしてたから手で投げるより足で蹴る方がボールを上手に扱えた。いつだって下ることのない王様がいるドッヂボールよりも、下からてっぺんまで上り詰めることができる4ピンのほうが自分には楽しかった。

だが、不思議と毎日聞こえてくるこのクラシック音楽を聴きながらホウキを奏でる昼休みも悪くないと感じてた。今こうしてポロネーズのさえずりを聴きながらゆったりと過ごす時間は、とても好きだと思う。

[ Pâtisserie IL PLEUT SUR LA SEINE(パティスリー・イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ) ]

場所:東京都東京都渋谷区猿楽町17−16  代官山フォーラム2F
最寄駅:東横線「代官山」駅より徒歩6分くらい 旧山手通り沿い都立第一商業高校横
営業時間:11:30-19:30
定休日:火曜日(祝日の場合は営業、翌日が休業日)

2011年03月01日

連載/甘時間 - ama-jikan - パリ編 第二章(3):ノートルダム大聖堂、パリ。ゼロ地点

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ノエル直前の12月23日、東京丸の内。前年にも足を運んだ東京駅丸の内口にある東京国際フォーラムで開催されていた『ストラスブールのマルシェ・ド・ノエル2010』に立ち寄り、到着早々にアルザスのビールを立ち飲みで2本も空けていい気持ちになっていた。

パリへ行く一ヶ月前から数回ほど試しに履いて現地でヒドイ靴擦れに襲われることだけは回避しておいたが、さすがに下ろしたて同然のショートブーツで朝から晩までパリを歩き回ったツケは左足の中指と薬指にこびり付いたままだった。傍でアルザス人のフランス語に小耳を傾けながらビールを飲んでる最中でも気を散らすには十分過ぎるくらい足先に違和感を与えた。ストラスブールの季節を模した場所に立ってもパリの名残りが足元に残っていた。

……およそ10数年前に酒断ちを決意して以来、断り様のない付き合いやどうしても身体の疲れが取り切れない時だけしか酒は身体に入れないように努めていたはずだったが、フランス菓子に使われる洋酒の美味しさに興味を抱いてからは、自分の中で定めたはずの「戒律」のようなものが打ち破られたような感じがあった。タガが外れたのだった。しかし、思いのほか、10数年前の自分とは打って変わって今の自分は酒に対して穏やかというか寛容になっていた。

キャプション 東京の中のストラスブールの中のパリ。キャプション

一昨年と違って去年(2010年)は自分にとって少し意味合いの異なる場所になった。数週間ぶりにフランス人の喋るフランス語を生で聞きたくて足を運んだ、というのが去年と違う点。タルト・フランベを焼く大きな窯とフランス人職人の姿は消えていたし、前年よりもサパン(もみの木)が小さくなっているように見えたが、こういうイベントは毎年やってくれることに楽しみがあると受け取って、一年振りのこの雰囲気の中を歩いてみた。

あともう一つは、このブログで写真を掲載する際に使う何かいい小道具は見つけられないものかと物色しに足を運んだ…というのが大きな理由。なのに結局ビール飲んで帰ってきてしまったわけだが。少し身体が暖まりかけたところで建物内の物品販売店で大きなノートルダム大聖堂の模型が売られていたのを見つけた。不覚にも値札が何処に付いてるのか確認できず、「いや、きっと高そうだぞこれは」と深追いはしなかったが、自分の左足のつま先以外にもう一つ、ストラスブールの中にパリを見つけることになった。
連載/甘時間 - ama-jikan - パリ編 第二章(3):ノートルダム大聖堂、パリ。ゼロ地点

2010年11月25日。ノートルダム大聖堂、パリ。Cathédrale Notre Dame de Paris。定宿にしていたホテルからはかなりの近所で、モベール・ムチュアリテ駅前からサンジェルマン大通りを横切って、何方向かに分かれた通りのうちの擂り鉢状の勾配がある細い通り(Rue Maître Albertだったかな)の200mもしない距離を真っ直ぐ歩けばセーヌ川へ出られる。出た瞬間に目の前に現れるのがノートルダム大聖堂、パリ。ようやく薔薇窓を見る機会が訪れた。

Cathédrale Notre Dame de Paris


午前中にシャルトルへ、午後はヴェルサイユ宮殿。パリ市内へ帰ってきた夕方に訪れた。この日はパリ滞在中、唯一といっていい昼食抜きに近い日だった。厳密には多少食べ物を口にしたが、連日の爆盛り料理に胃袋を膨らませてきた中では、休養日といってもいいくらいの一日だった。とはいえ、晩飯は5区にあるチュニジア料理店のシェ・アマディ(Chez Hamadi)で爆盛りスムールのクスクスとメルゲーズなどを食べまくって、やはり爆死。美しい景色と美味いものに囲まれる毎日はまるで異世界、夢の中、酒池肉林と呼べるかも知れない。このような世界の入口が存在するとしたら、それは壺の中なのではないだろうか?

Cathédrale Notre Dame de Paris


この中世ゴシック建築のノートルダム大聖堂のあるシテ島(Ile de la Cité)はパリ発祥の地と言われている。パリの各地への距離は、このノートルダム大聖堂の前にあるゼロ地点を示す丸いプレートを起点に計測される。なんかそういうのを何処かで聞いた覚えがあるなと思ったら東京を思い出した。そういえば東京でも街道沿いに「日本橋から〜km」という指標が立っている。東京のゼロ地点は日本橋?

残念ながらパリのゼロ地点を示すプレートは写真に撮り損ねてしまったが、パリを発つ夜もノートルダム大聖堂の前を重たいキャリーケース引きずってRERへと続く階段を目指した。パリのゼロ地点が今回のパリの最後だった。あの寒さと石畳の硬さが今でも忘れられない。ノートルダム大聖堂とその前に佇む一本のモミの木。あれが実質パリでの最後の街並の風景だった。「またココに来れるだろうか?」

Cathédrale Notre Dame de Paris


観光スポット中の観光スポットだけにサン・ミッシェル橋(Pont Saint Michel)の上からでも人で賑わっているのが視界に確認できた。聖堂へ足を踏み入れるのはノートルダムで幾つ目だったろうか。

「戒律」を平気で破れる軽薄さで聖堂に足を踏み入れていいものだろうか?という気がしなくもなかったが、もはや今更感たっぷりで堂々と中へ入る自分には意味をなさないのかもしれない。薔薇窓は期待通り美しく、午前中に見たシャルトル大聖堂の青いステンドグラスと甲乙付け難い強い印象が未だに自分の中には残っている。

Cathédrale Notre Dame de Paris


Cathédrale Notre Dame de Paris


さすがに中は人が多く、他の寺院や聖堂、教会とは違ってゆっくり静かに見てまわるという空気ではなかったが、この場所-パリの始点-で夕刻のひとときを過ごせて良かった。最終日、帰国当日もノートルダムの前を通ったが、佇まいは大きかった。あの時ばかりは始点というよりも終点、ゼロはゼロでもまるでリセットされたゼロのように感じられた。

ストラスブールのマルシェ・ド・ノエル2010


帰国から三週間後、「ノートルダム大聖堂、パリ」はあの時よりも遥かに小さく、腰の高さに積み上げられていた。さっきまで自分はこの中にいたらしい。目の前にあるこの聖堂の模型はもしや形を変えた壺中天ではないかと疑いかけた時、さっき飲んだアルザスビールの酔いが覚めかけてきた。
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