ノエル直前の12月23日、東京丸の内。前年にも足を運んだ東京駅丸の内口にある東京国際フォーラムで開催されていた『ストラスブールのマルシェ・ド・ノエル2010』に立ち寄り、到着早々にアルザスのビールを立ち飲みで2本も空けていい気持ちになっていた。
パリへ行く一ヶ月前から数回ほど試しに履いて現地でヒドイ靴擦れに襲われることだけは回避しておいたが、さすがに下ろしたて同然のショートブーツで朝から晩までパリを歩き回ったツケは左足の中指と薬指にこびり付いたままだった。傍でアルザス人のフランス語に小耳を傾けながらビールを飲んでる最中でも気を散らすには十分過ぎるくらい足先に違和感を与えた。ストラスブールの季節を模した場所に立ってもパリの名残りが足元に残っていた。
……およそ10数年前に酒断ちを決意して以来、断り様のない付き合いやどうしても身体の疲れが取り切れない時だけしか酒は身体に入れないように努めていたはずだったが、フランス菓子に使われる洋酒の美味しさに興味を抱いてからは、自分の中で定めたはずの「戒律」のようなものが打ち破られたような感じがあった。タガが外れたのだった。しかし、思いのほか、10数年前の自分とは打って変わって今の自分は酒に対して穏やかというか寛容になっていた。
東京の中のストラスブールの中のパリ。
一昨年と違って去年(2010年)は自分にとって少し意味合いの異なる場所になった。数週間ぶりにフランス人の喋るフランス語を生で聞きたくて足を運んだ、というのが去年と違う点。タルト・フランベを焼く大きな窯とフランス人職人の姿は消えていたし、前年よりもサパン(もみの木)が小さくなっているように見えたが、こういうイベントは毎年やってくれることに楽しみがあると受け取って、一年振りのこの雰囲気の中を歩いてみた。
あともう一つは、このブログで写真を掲載する際に使う何かいい小道具は見つけられないものかと物色しに足を運んだ…というのが大きな理由。なのに結局ビール飲んで帰ってきてしまったわけだが。少し身体が暖まりかけたところで建物内の物品販売店で大きなノートルダム大聖堂の模型が売られていたのを見つけた。不覚にも値札が何処に付いてるのか確認できず、「いや、きっと高そうだぞこれは」と深追いはしなかったが、自分の左足のつま先以外にもう一つ、ストラスブールの中にパリを見つけることになった。
2010年11月25日。ノートルダム大聖堂、パリ。Cathédrale Notre Dame de Paris。定宿にしていたホテルからはかなりの近所で、モベール・ムチュアリテ駅前からサンジェルマン大通りを横切って、何方向かに分かれた通りのうちの擂り鉢状の勾配がある細い通り(Rue Maître Albertだったかな)の200mもしない距離を真っ直ぐ歩けばセーヌ川へ出られる。出た瞬間に目の前に現れるのがノートルダム大聖堂、パリ。ようやく薔薇窓を見る機会が訪れた。
午前中にシャルトルへ、午後はヴェルサイユ宮殿。パリ市内へ帰ってきた夕方に訪れた。この日はパリ滞在中、唯一といっていい昼食抜きに近い日だった。厳密には多少食べ物を口にしたが、連日の爆盛り料理に胃袋を膨らませてきた中では、休養日といってもいいくらいの一日だった。とはいえ、晩飯は5区にあるチュニジア料理店のシェ・アマディ(Chez Hamadi)で爆盛りスムールのクスクスとメルゲーズなどを食べまくって、やはり爆死。美しい景色と美味いものに囲まれる毎日はまるで異世界、夢の中、酒池肉林と呼べるかも知れない。このような世界の入口が存在するとしたら、それは壺の中なのではないだろうか?
この中世ゴシック建築のノートルダム大聖堂のあるシテ島(Ile de la Cité)はパリ発祥の地と言われている。パリの各地への距離は、このノートルダム大聖堂の前にあるゼロ地点を示す丸いプレートを起点に計測される。なんかそういうのを何処かで聞いた覚えがあるなと思ったら東京を思い出した。そういえば東京でも街道沿いに「日本橋から〜km」という指標が立っている。東京のゼロ地点は日本橋?
残念ながらパリのゼロ地点を示すプレートは写真に撮り損ねてしまったが、パリを発つ夜もノートルダム大聖堂の前を重たいキャリーケース引きずってRERへと続く階段を目指した。パリのゼロ地点が今回のパリの最後だった。あの寒さと石畳の硬さが今でも忘れられない。ノートルダム大聖堂とその前に佇む一本のモミの木。あれが実質パリでの最後の街並の風景だった。「またココに来れるだろうか?」
観光スポット中の観光スポットだけにサン・ミッシェル橋(Pont Saint Michel)の上からでも人で賑わっているのが視界に確認できた。聖堂へ足を踏み入れるのはノートルダムで幾つ目だったろうか。
「戒律」を平気で破れる軽薄さで聖堂に足を踏み入れていいものだろうか?という気がしなくもなかったが、もはや今更感たっぷりで堂々と中へ入る自分には意味をなさないのかもしれない。薔薇窓は期待通り美しく、午前中に見たシャルトル大聖堂の青いステンドグラスと甲乙付け難い強い印象が未だに自分の中には残っている。
さすがに中は人が多く、他の寺院や聖堂、教会とは違ってゆっくり静かに見てまわるという空気ではなかったが、この場所-パリの始点-で夕刻のひとときを過ごせて良かった。最終日、帰国当日もノートルダムの前を通ったが、佇まいは大きかった。あの時ばかりは始点というよりも終点、ゼロはゼロでもまるでリセットされたゼロのように感じられた。
帰国から三週間後、「ノートルダム大聖堂、パリ」はあの時よりも遥かに小さく、腰の高さに積み上げられていた。さっきまで自分はこの中にいたらしい。目の前にあるこの聖堂の模型はもしや形を変えた壺中天ではないかと疑いかけた時、さっき飲んだアルザスビールの酔いが覚めかけてきた。