短期集中連載の『パリの街角から』シリーズその4(最終回)はクイニーアマン。これも戴きもののクイニーアマン。
今回のクイニーアマンは、パリ某区、某広場で毎週開催される朝市で売られていたもの。ブランド名や店名は失念。

写真は、珍しくケータイでのもの。4年前の秋にすでに1年落ちモデルとして買ったケータイでの撮影にて、重ねがさね画質はご勘弁を。
一応いいわけを済ませたところで、早速本題へ。直径20cmくらいはあったろうか。ファミリーサイズだ。シェアしたのでその場で1カット食べ、更に大きめな1カットを持ちかえって改めていつもの甘時間チックに撮影。一番下の写真は自宅にて撮影分。
生地は東京でよく見かけるものとは違って密度があり、キュッと締まってる。ずっと薄い。カタネベーカリーで食べられるクイニーアマンが確かこのくらい薄いもので、ブルターニュ風といった雰囲気だった。生地とバターの香りがたっぷり伝わってくる。香りと味わいから判断するに発酵バターじゃないだろうか。バターの香りがまるで違うな。

何と違うか?東京で食べたことがあるものと違う。香りも甘さも、違ってる。上手く言葉にしづらい……。これはもう、食べないと説明のしようがない。口に入れた瞬間の香り、風味。濃度が違う感じといえばいいだろうか。クイニーアマンとしての出来というのではなく。
困惑させられ、言葉が出なかった。よく話を聞くことが今まであった。「素材が違う」と。フランスで食べることができる味わいの一つがこれなのか……。それがトップクラスかスタンダードクラスかが問題なのではなく、これはパリのごくありふれた「普通」ってことだろう?高級でも何でもなく。「普通」の基準線が東京とまるで違ってるじゃないか…。
これを「普通」にしていられるというのは、経験の差として大き過ぎる。あくまで自分自身の問題として、ここでは限定して書くけども。向こうの「普通」を知れば知るほど、なんか……。この先自分にどういう毎日が待ち受けているのか、知りたい気持ちと知って抱く感情に対して、好奇心と恐怖がほぼ同時に心に居着いてしまったような。

どこか……東京のどこかでクイニーアマンをまたあちこち食べてみよう。近いものを感じられる店がせめて幾つか存在しないと、この空の向こうへ行って帰ってきた時に、どうすれば良いのか判らなくなる可能性があるのが一番怖い。
少し落ち着いて書こう__。よく巷に溢れるクイニーアマンとは違って、郷土菓子的なルックスで、ガリガリなキャラメリゼはなく、砂糖は全体にかかっているものの、ジャリっと感はない。ブルターニュの薄くて大きな大きな大きなクイニーアマンよりは多少控えめな感じ。
あと数ヶ月後にこの空の向こうへ行く前に知っておけたのは良かったのかも知れない。
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