焼きたての剥き出し販売によるもの。ついに解禁した。一年振りのフィナンシエ。

カリッとしたヘアライン、しっとりした食感に、風味豊かなアマンドの香り。今まで食べて来たフィナンシエの中で最もアマンドの香りが強い。というか、今までなかったな、これは。また「初めて」か……。香りだとか、ジュワッとした味わいだとか、とにかくバターに重点が置かれてきた気がする。違いがあったとすれば、アーモンドプードルをふんだんに使用しているか、焦がしバターか溶かしバターか。袋に入れっぱなしでべったりし過ぎて噛む意欲を減退させたり、「こういうもんだ、納得しろ」と説き伏せられようとしているかのようなあまりにもどれも差がないものばかりであったり。

フィナンシエを解禁するとしたらパリの空の下しかないとは思ってたが、正直にいえば不安だった。自分の中の不安。「ここでもない、あそこでもない」とこの街で不毛なことを繰り返してると自責の念を抱いて封印しただけに、また頭の中のフィナンシエが現れてしまいそうで、どこの店に行っても、見ないフリを決め込んでいたこの一年。ゆえに今日まで、この店のフィナンシエでさえ見て見ぬフリをしてきた。
カリッと感も全く問題ない。理想的。このカリッと感が得られる場合、全体的にカリカリし過ぎることが多かったし、ヘアラインが硬過ぎたりもした。その逆ならベタッとした表面に柔らか過ぎる食感。良くいえばシットリ。このように、針がいつもどちらかに大きく振れてしまう。両方を兼ね備えたフィナンシエが見つからなかった。どちらかが好みならしっくり来るものは割と無理なく早く見つかると思うが。
しかし、自分にとってそれでは針が振れ過ぎてると感じて食べ比べをしてこなければならなかった以上、きちんとストーンがサークルに留まってくれるベストショットが欲しかった。「……少し届かない」「……ちょっと行き過ぎた」自分の中のモヤモヤはまるでカーリングのようだった。すべては袋売りに問題があるように感じてた。そのくらい、袋マドレーヌや袋フィナンシエの中には、無念を禁じ得ない瞬間がこれまで確かにあった。具体的にどことは書かない。
この高温多湿の街で剥き出しで販売する店は限られている。同じ条件で食べ比べなければ公正ではないけど、剥き出し販売してる店はこの街にはほとんど見られなかった。事実、剥き出しで売る店のそれは、いかんせん乾き過ぎてた。火が入り過ぎてる。ヘアラインが口の中で美味しさを邪魔しかねない硬さになってしまっていた。これまで何度も食べたのちに断念した。一方、袋売りの状態を店の外に出して販売する店にも出会ったことがあったが、この味わいの場合は論外だった。あれはただ時化てただけの劣化ものでしかなかった。売り物として並べるべきでないと客側から見て感じたほど。
きっとこの街で剥き出しのまま閉店まで並べれば、ライフは確実に短くなってしまう。だが、ベストの状態で食べてみたい。そう思った。
そんな風にして、いくつものフィナンシエを食べ比べしてきて、「これは、いかん。このままじゃ何やってんのか判らなくなる」と感じて、食べ比べを中止したのは一年くらい前だったか。仮にどこか遠くのお店に理想のフィナンシエがあったとしても、生活圏内でなければどうしようもない。日常の中にないなら、もはやそれは自分の能書きでしかなくなる。自分で作る? 道具が必要だ。時間が必要だ。技術が必要だ。他にもいくらでも時間の過ごし方を持ってる以上、貴重な週末の余暇をお菓子作りのためだけに割き続けられない。それを短縮するための購入だから。「売ってるもので見当たらないならもう、よそう」と思った。そこそこで良しとしよう。完璧など……。
だが、そこそこって言っても、なかなかそこそこで納得するわけもなく。
まさか解禁するとは思わなかった。
しいて言うなら、僕は食べ手として公正に判断がしたくて、できればどこのパティスリーやブランジュリーでも、マドレーヌやフィナンシエは剥き出し販売にしてくれたら……と今でも思ってる。「そうは言われてもさ……」と思われたとしても、袋に入れた状態で条件やコンディションを統一するのではなく、剥き出しで。それで判断してみたいと2年くらい前から意識し始めた。
袋に入った状態のマドレーヌやフィナンシエのベタついた手触りや、ただシットリとしただけの生地。食後にそんな本音を持ったとしても、何よりブログのネタ稼ぎで選んでる風な自分が嫌だった(苦笑)
無論「食べてみなきゃ判らない」が自分の動機や好奇心の原動力だったから、苦ではないにせよ想像を超えるものに出会うことなど既に期待していない自分がいることを次第に自覚しつつある日々の中で、マドレーヌやフィナンシエに対する動機が徐々に薄れていった。極上って一体何だろう?と。本当にそれを求めてるのか自分は、と。自問する日々だった。その自問とは、裏を返せばつまり「いまだもって見つからない」だった。「そのうち見つかる」は気を楽にしてくれる。だが、いつまで「見つからない」をキープしなきゃいけないんだろう。そのうち自分が何を求めてるのかさえ判らなくなるのが一番怖かった。
そうしなくてもいい場所が見つかった。過去の記憶を辿れば、僅かであっても「良い」と感じるフィナンシエがあった。どうしても見つからないなら、そこにしてもいいのでは?と感じたこともあった。
帰結するとしたら、おそらくもう自分にはここしかないだろう。
一つだけやり残してるとすれば、最後に確かめなくては。
此処ではない、この空の向こうで、確かめる必要がある。
[ Boulangerie Sous le ciel de Paris(ブランジュリー パリの空の下) ]
場所:東京都世田谷区上馬5-40-13
最寄駅:東急田園都市線「三軒茶屋」駅より徒歩10分。東急バス「若林3丁目」下車、徒歩1分。世田谷通り沿い、環七交差点交番の先。
営業時間:11:00-19:00(商品がなくなり次第終了)
定休日:日、月、火曜(4月からは完全週休3日へ)
場所:東京都世田谷区上馬5-40-13
最寄駅:東急田園都市線「三軒茶屋」駅より徒歩10分。東急バス「若林3丁目」下車、徒歩1分。世田谷通り沿い、環七交差点交番の先。
営業時間:11:00-19:00(商品がなくなり次第終了)
定休日:日、月、火曜(4月からは完全週休3日へ)
タグ:フィナンシエ